東京高等裁判所 昭和47年(う)482号 判決 1974年3月29日
本店所在地
東京都中央区銀座五丁目九番一二号
ダイヤモンドビル
株式会社太平洋テレビ
(右代表者代表取締役 清水昭)
本籍
北海道余市市黒川町四丁目二番地
住居
東京都中央区銀座五丁目九番一二号
ダイヤモンドビル
株式会社太平洋テレビ内
会社役員
清水昭
大正一三年四月五日生
左の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和四六年一二月二一日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検事中野博士出席のうえ審理をし、つぎのとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事高瀬礼二作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、本件記載および原審において取り調べた証拠を調査し且つ当審における事実取調の結果を綜合して、つぎのとおり判断する。
控訴趣意第一(事実誤認の主張)について。
一、原審第三回公判調書中の証人天野可人の供述記載、(以下証人および被告人の供述記載を供述と略称する)被告会社の登記簿謄本、被告人の原審および当審における供述、被告人の検察官に対する供述調書や原審で取調べた他の関係証拠を綜合するとつぎの事実が認められる。
(1) 被告会社は、昭和三二年九月二〇日設立されたが、右設立のころからNBC(ナショナル・ブロードキヤスチング・カンパニー)インターナショナル、NTA(ナショナル・テレフィルム・アンシェート)、フリーマントルインターナショナル、NFB(ナショナル・フィルム・ボード)などの外国会社等(以下外国会社と略称する)といわゆる代理店契約を結んだ。
(2) 外国製テレビ映画フィルム(以下フィルムと略称する)の輸入は、原判示のように、フィルムに化体された著作権の使用権(放映権)を外貨を支払って取得することであって、いわゆる貿易外取引(役務に関する契約)にあたるが、本件当時日本国内において右輸入につき外貨の割当を受けうる者は放送局に限られており、放送局が輸入の申請をして外貨の割当を受けなければ、何人もフィルムの輸入につき外国会社に外貨の支払をなすことができなかった。したがって被告会社はいかなる場合においても自らフィルムを輸入することはできなかった。
(3) 被告会社と放送局との間にとり交されたフィルム売込についての契約書に原判示のように被告会社が総代理権を有すとか、またはそれと同趣旨の文言を用い、その放映がフアーストラン(最初の放映)であるとリピート(再放映)であると、またその放送局がキー局であるとローカル局であるとを問わず、すべて被告会社が外国会社の代理人である旨の表示がなされている。
以上(1)ないし(3)の事実などを綜合すると、被告会社の放送局に対するフィルムの売込みはその放映がフアーストランであるとリピートであると、またその売込み先の放送局がキー局であるとローカル局であることを問わず、すべて外国会社の代理人としての資格で行われたものと認めることができ、その行為はすべて本人たる外国会社に対してその効力を生じるものというべきである。原判決のこの点についての判断は正当である。
所論は屡々原判決を非難しているので、以下その主要と思われる点について、当裁判所の判断を示す。
二、フィルムセールスにおける被告会社の法律的地位についての誤認があるとの主張について。
(一) 所論は、原判示のようにフアーストラン(最初の放映)について、被告会社が自社において日本語版を製作し、放映修了後はフィルムと日本語版を保管したこと、放送局がフィルムの放映料金のうち円については被告会社に支払ったこと、被告会社が放送局から受領した右円のうちドル相当円として外国会社に報告したのは一部のフィルムについて受領した円に関してのみであって、その余のフィルムについて受領した円については全く報告をしていなかったことなどからみて、被告会社の本件フィルム販売は単なる外国会社の代理人としての行為のみでなく、被告会社が自己の責任と計算にもとづいて行なう取引が併存していたと認められるという。
しかし、証人ジョセフ・マーク・クラインの供述(原審第三一回公判)と被告人の原審および当審における供述によると、被告会社が自社において日本語版を製作したのは、外国会社が本来製作すべきものを被告会社が日本語版製作の技術の点で優れていたため、前記代理店契約において外国会社から命ぜられ、外国会社に代ってなしたもので、被告会社としてはこれを製作する義務を負っていたものと認められる(日本語版の使用料の帰属については後述する)。また、フィルムの所有権が外国会社にあることはいうまでもないところであるが、被告人の原審における供述によれば、日本語版の所有権については被告会社は同社にある旨外国会社に対し主張したがいれられず、結局外国会社に帰属することとなったこと、したがって放映後のフィルムと日本語版は、放映後当然外国会社に返還されるべきものであり、これが被告会社に保管されてあったのは、本来外国会社へ返還さるべきものが将来リピートされる場合などの便宜を考え、外国会社の了承のもとに一時保管されてあったに過ぎないことを認めることができる。なるほど、前記証拠によれば、被告会社は放送局から受領した円のうちドル相当円として外国会社に報告したのは一部のフィルムについて受領した円に関してのみであって、その余のフィルムについて受領した円については全く報告をしていなかったことが認められる。しかし、後記(三)で説示するように、本来円収入についてはこれを外国会社に報告しない旨の合意が被告会社と外国会社との間にできていたのであるから、このことをとらえて被告会社の本件フィルム販売が外国会社の代理人としてなされたものではないということはできない。
(二) 所論は、被告会社が、フアーストランの場合日本語版は被告会社のものであると考えていたこと、その使用料(放映料)を放送局から円で受領し、被告会社の収入として処理していたこと、被告会社が外国会社に対しその売上に関する報告をしていなかったこと、放送局が日本語版は被告会社より買受け、その使用料は被告会社の本件フィルムの販売はフアーストランのセールスの場合でも日本語版使用料の取引に関する部分については、被告会社の独自の行為と認めるのが相当であり、再放送のセールスの場合には被告会社は対外的にも対内的にも被告会社独自の行為として取引しており、外国会社の代理人としてなしたものとは認められないという。
しかし、被告人が日本語版は被告会社のものであると考えていたことは所論の被告人の検察官に対する供述部分を除いて外にこれを認めるに足りる証拠はない。原判決も説示するように、右供述部分は被告人の検察官に対する各供述調書を全体として仔細に検討すると、被告会社が日本語版の使用収益権を受けたいという願望を表明しているに過ぎないと認められるから、右供述部分により被告会社が日本語版は被告会社のものであると考えていたと認めるわけにはいかない。証人百瀬喜七(原審第四回公判)、同中原三郎(同第五回公判)、同中野忠夫、同井上新吾(同第七回公判)、同富家禎三、同宇根元繁夫(同第九回公判)の各供述と被告人の原審における供述を綜合すると、被告会社が日本語版の使用料を放送局から円で受領し、これを被告会社の収入として処理していたこと、被告会社が日本語版についての売上に関し外国会社に対し報告をしていなかったことが認められる。しかし、前記富家、井上両証人および証人日比野正治(原審第四回公判)、同百瀬喜七(同第六回公判)の各供述、被告人の原審における供述によれば、被告会社が右円をすべて同会社の収入として経理上の処理をしたことは被告会社の経理担当者の誤りであったこと、被告会社が受領した右円はフアーストランの場合は日本語版製作費の実費に相当するものであったことが認められる。したがって、フアーストランの場合被告会社が日本語版の売上に関する報告を外国会社へしなくても差支えない筋合である。そしてリピート或いはローカルセールス(ローカル局への販売)の場合は被告会社は右報告をなすべきであるけれども、後記(三)で説示するように外国会社はこれを断っていたのである。また、前記富家、宇根元両証人の供述によると、放送局職員の中には日本語版は被告会社から買い受け、その使用料は被告会社に支払うものであると考えていたものがあったことは認められるけれども、このことからして直ちに被告会社の本件フィルムの販売が被告会社の独自の行為であると認めることはできない。
(三) 所論は、原判示のように被告会社の放送局に対するフィルムの販売はリピート或いはローカルセールスの場合においても、そのごく一部を除いて使用料は円のみで契約されたこと、被告会社は右円の受領を外国会社に報告しないし、公表勘定において売上金としての経理処理をしていたことからみて、被告会社の本件フィルムの販売は被告会社が外国会社の代理人としてしたものとは認められないという。
しかし、前記天野、ジョセフ・マーク・クライン、日比野、井上各証人の供述、被告人の原審および当審における供述を綜合すると、放送局に対するフィルムの販売は、リピート或いはローカルセールスの場合においても外貨をもってなされなければならなかったが、当時我国の外貨事情は悪く、放送局(殊にローカル局)が外貨の割当を受けることが容易でなかった。他方テレビジョンの普及で放送局の外国フィルムに対する需要が次第に多くなりつつあったため、被告会社は、放送局の要望により原判示のようにリピートの場合はごく一部を除いて円のみで契約し、ローカル局ないし広告代理業者に対する売込についてはその全部を円のみで契約したこと、右契約は、外国会社の代理人としてなしたものであること、したがって右契約により放送局から被告会社が取得した円は外国会社に帰属したこと、しかし、外国為替及び外国貿易管理法(以下外国為替管理法と略称する)により外国会社が円を取得することができなかったため、被告会社が将来外国為替管理の制度が認められ、外国会社が自由に円を取得することができるようになるまで(NBCの場合)、または外国会社の職員らが直接集金にくるまで(NBC以外の外国会社の場合)これを預り、外国会社のため保管し、その中から被告会社が外国会社から支払いを受くべき正規の手数料(コミション)や外国会社の職員の日本滞在中の諸費用などを支出していたこと、被告会社が放送局から受領する円は右のように外国会社に帰属するが、外国為替管理法の関係から表面上は外国会社のものとして処理することはできなかったため、被者会社は外国会社に対して円についての報告をしなかったし、外国会社も被告会社に対して右報告を求めないで、むしろ被告会社が右報告をすることを拒んでいたこと、被告会社が放送局から受領した円について右のような処理をするについては外国会社と被告会社との間にその旨の合意があったこと、被告会社が放送局から受領した円を原判示のように一部脱漏部分を除いて公表勘定において被告会社の売上金としての経理処理をしたことは被告会社職員が外国為替管理法との関係の配慮などから被告人の指示の趣旨を理解せず、その意に反して誤まってなしたものであることを認めることができる。したがって所論の事実があるからといって本件フィルムの販売が被告人の代理人としての行為でないとは認められない。
(四) 所論は、被告人が被告会社のフィルムの販売についてフアーストランの契約時点において外貨の支払いが済んでいるフィルムの処分欄は被告会社にあると考えていたこと、被告会社の職員や放送局職員も同様に考えていたことからみて、被告会社の本件フィルムの販売は被告会社の独自の行為であるという。
しかし、原審および当審で取調べた証拠を検討しても被告人が所論のように考えていたことは認められない。もっとも被告人の昭和三七年五月一七日付、昭和三九年七月三〇日付各検察官に対する供述調書中には一見所論に副うような部分があるけれども、同調書を仔細に検討すると、所論と異なる趣旨であることが明らかであり、証人住田梅太郎の供述(原審第一一回公判)中には所論を裏付ける部分があるけれども、同供述記載は前記ジョセフ・マーク・クライン証人の供述、被告人の原審および当審における供述に照らし、信用することができない。また関係証拠によると、被告会社の職員や放送局の職員の中に所論のような考えを持っていた者がいたことが認められるけれども、このことからして直ちに被告人の本件フィルムの販売が被告会社の独自の行為であったということはできない。
(五) 所論は、フィルムの販売について被告会社と放送局との間で取り交された契約書の或るもの(東京高裁昭和四七年押第一〇五号の二二の一〇一-一-一七-二)についてみるに、その当事者欄に甲日本放送協会経理局長春日由三、乙太平洋テレビジョン株式会社取締役社長清水昭と記載されてあるのみで、本人である外国会社の氏名の記載がなく、ただ本文中に被告会社が日本国内の「総代理権を有する‥‥」との文言があるのみで本人の名においてこれをなしたとはいえないことや日本文契約書には英文契約書と異なり円支払いの条項があることなど、また被告会社とフィルムの取引をしたローカル局において契約の相手方は被告会社であると理解していたことなどからみて、被告会社のフィルム販売は外国会社の代理人としてなされたものではないという。
しかし、前記富家証人の供述によれば、所論の日本文契約書はいわゆる附属契約書であることが認められ同契約書の当事者欄に外国会社の名前の記載がないのは、同契約書がフィルムの放映権に関する事項以外の通関料、運賃、フィルムの引渡方法等の事項を定めており、それらは放送局と被告会社との間の関係事項であって外国会社には関係ないことであるからであるとみることができる。それのみならず、同契約書には被告会社が外国会社の総代理権を有する旨の記載があるばかりか、被告会社は商人であるから、本人の為にすることを明示しなくても、その行為は本人に対してその効力を生じることはいうまでもないところであってこれを代理行為と認めるに何の妨げもないのである。また、日本文契約書に英文契約書と異なり円を被告会社に支払う旨の記載があるのは、被告人が原審で述べているように、ドルを一定額以上支払えないという放送局の要望を認め、その分を円で支払わせることにしたが、外国会社が円を取得することは外国為替管理法上できないので、これを前記(三)で説示したように被告会社をして外国会社のため保管させることとしたため英文契約書には円の支払いを記載しなかったものとみることもできる。前記認定のように本件フィルムの販売について被告会社と放送局との間に取交された契約書にはすべて被告会社が総代理権を有すとか、またはそれと同趣旨の文言の記載があるのであるから、契約書の記載から被告会社の本件フィルムの販売が外国会社の代理人としてなした行為とは認められないとはいえない。被告会社と取引をした放送局の職員の中に外国会社と取引するということを全く念頭におかなかった者がいたとしても、右認定の妨げとなるものではない。
三、外国会社が被告会社が取得した円はすべて外国会社に帰属するものと考えていたと認定したのは事実の誤認であるとの主張について。
しかし、前記二(三)で説示したように被告会社は外国会社と合意のうえ、放送局から取得した円を外国会社のため保管していたのであるから、外国会社が右円が外国会社に帰属するものと考えていたことは明らかである。
四、日本語版使用料に相当する円はいずれも外国会社に帰属するものであると認定したのは事実の誤認であるとの主張について。
(一) 日本語版の使用料は日本語版なる著作物(翻訳物)の利用(放映)の許諾に対する対価である。ところで、原判示日本語版は、外国小説の翻訳物などとは異り、原フィルム(オリジナルフィルム)と一体となってはじめてその価値が認められるものであること、原判示日本語版は二(一)で説示したような経緯で被告会社において製作されるに至ったものであることなどに徴すると、原判示日本語版の使用料は外国会社に帰属すると認めることができる。
(二) 所論は、外国会社は本件フィルムを我国に持ち込むにあたってその受取るべき対価としては原則として政府割当の外貨以外は考えていなかったし、被告会社もこれを超えて支払う意思がなかったという。しかし、前記二、(三)で説示したように、当時我国の外貨事情が悪かったこと、それにも拘らず放送局の外国フィルムに対する需要が増加しつつあったこと、そのため被告会社が外国会社と合意のうえ放送局から円で支払いを受け、これを外国会社のため保管し、被告会社が外国会社から支払いを受くべき手数料などを右円のうちから支払いを受けるなどの処理をしたことなどに照らすと、所論は採用することができない。
五、未報告円はすべて外国会社に帰属するものであると認定したのは事実の誤認であるとの主張について。
しかし原判示未報告円がすべて外国会社に帰属することはすでに前記二(三)で説示したとおりである。
控訴趣意第二(法令の解釈、適用の誤りの主張)について。
前記のように本件フィルムの販売について被告会社が放送局から受領した円は被告会社の売上金として経理がなされていたことが認められる。また被告人の原審および当審における各供述や検察官に対する供述調書によると、被告会社は自ら外国会社のため預っていた円で土地を購入しようとしたり、これを他に流用したり、また架空名義の預金にしたりしていることが認められる。しかし、売上金としての経理処理が被告人の意に反し誤まってなされたものであることはさきに説明したところであり、その余の点については被告人は原審および当審で右土地の購入はNBCから現金で持っているより土地を購入した方がよいとすすめられその要請に従ってなしたものであり、他に流用したのは一時借用したのであり(それがそのまま被告会社の所得となるものとは認められない)、架空名義で預金したのはその預金の性質について税務当局に誤解され課税対象とされることを恐れて秘匿しようとしたのと本来外国会社は外国為替管理法により円を取得することができないところ、被告会社が外国会社のために円を保管しておくことは実質的には外国会社が円を取得することとなるので、これを隠すためであった旨弁解している。虚心に聞けば、右弁解はあながち不合理、不自然なものとは認められず、これを一説に排斥することはできない。したがって、右のような事実があったからといって、直ちに所論のように本件円について、被告会社が経済的利益を享受したものとは認め難くこれをもって法人税法上の所得とみなすわけにはいかない。原判決の判断は結局において正当であり、所論は採用できない。
以上説明したとおり、検察官の控訴趣意はすべて理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 三井明 判事 石崎四郎 判事 杉山忠雄)
控訴趣意書
法人税法違反 株式会社太平洋テレビ
同 清水昭
右被告人両名に対する頭書被告事件につき、昭和四六年一二月二一日東京地方裁判所刑事第二五部が言い渡した判決に対し、検察官から申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。
昭和四七年四月一〇日
東京地方検察庁
検察官 検事 高瀬礼二
東京高等裁判所第一三刑事部 殿
記
原裁判所は
被告会社は、東京都中央区銀座五丁目三番地ダイヤモンドビルに本店を置きテレビジョンの番組の製作と提供等を営業目的とする資本金二〇〇万円の株式会社であり、被告人清水は、被告会社の代表取締役としてその業務全般を統括しているものであるが、被告人清水は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の脱漏架空製作費の計上等の不正な方法により、昭和三五年九月一日より昭和三六年八月三一日までの事業年度において、被告会社の実際所得金額が九〇、〇七九、〇八二円あったのにかかわらず、昭和三六年一〇月三一日、東京都中央区新富町三丁目三番地所在京橋税務署において、同税務署長に対し、所得金額はなく、納付すべき法人税もない旨虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって、被告会社の右事業年度の正規の法人税額三四、一三〇、〇二〇円をほ脱したものである。
との公訴事実に対し、被告会社が公表計上しなかったフィルムセールスに関する円収入のうち、いわゆる未報告円(検察官が被告会社のほ脱所得であると主張する収入金額)は、「被告会社がこれを自己の収入と考え、かつ、そのように取扱っていたことが明らかであるから、本件事業年度において少くとも経済的・事実的にはこれを利得していたものと認めるのが相当である」と認めながら、「被告会社の放送局に対するフィルムの売込は、すべて外国会社の代理人として行なわれ、従って、放送局から支払われた代金は、一部諸経費およびフアストランの場合の日本語版使用料(製作費)に相当する分を除き、円、ドルを問わず、すべて法律的には本人たる外国会社に帰属するものというべきである。よって前記未報告円についても法律上は被告会社に帰属せず、すべて外国会社に帰属するものと認めるべきである」旨認定したうえ、右未報告円の所得性について、「これが、法律上外国会社に帰属することが明らかとなれば、社会的にも当然返還さるべきものと認識されるであろうし、また外国会社が未報告円の存在を知れば、当然被告会社に対しその権利を主張するであろうから、結局、右未報告円は、本件事業年度における被告会社の所得を構成する収入とはなりえないものというべきある」と認め、結論として、「検察官が、被告会社のフィルム売上金であると主張する金額は、すべて被告会社の所得を構成する収入とは認められず、これを収入から除くと被告会社は、本件事業年度において欠損となることが明らかであるから、結局、本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰する」として、被告会社および被告人清水に対し、いずれも無罪を言渡したが、原判決には、以下詳述するとおり、事実の誤認および法令の解釈適用の誤があり、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、到底破棄を免れないものと思料する。
第一 事実誤認について
一、フィルムセールスにおける被告会社の法律的地位について
原判決は、被告会社の外国製テレビ用フィルムの売込み(以下フィルムセールスと称する)は、初放映(以下ファスト・ランと称する)の場合たると、再放映(以下リピートと称する)ないし地方テレビ局に対する売込み(以下ローカル・セールスと称する)の場合たるとを問わず、すべて外国会社の代理人としての資格で行なわれたものであると認定したが、右は、被告会社の営業の実態や取引の実情等を見誤ったため、フィルムセールスにおける被告会社の法律的地位について事実を誤認したものといわなければならない。
すなわち、原判決は、右認定の根拠として、(イ)、被告会社が、NBC等の外国会社(外国テレビ映画フイルム配給会社をいう)との間に「いわゆる代理店契約」を結んでいたこと、(ロ)、フィルムの輸入の法律的性質、すなわち、フィルムの輸入は、これを法律的にみると、フィルムに化体された著作権の使用権(放映権)を外貨を支払って取得することであって、貿易外取引にあたるが、本件当時国内においてその当事者(輸入者)となりうるものは法律上放送局のみに限られていたこと、(ハ)、契約書の記載形式のおおむね三点を挙げ、特に、契約書の点については、「検察官は、右契約書には被告会社が外国会社の代理人である旨の表示がなされていないと主張するけれども、契約書には、『乙は甲に〇〇〇〇が海外使用に関して一切の権利を有し乙が日本国内に総代理権を有する一六ミリ六〇分カラーシリーズ〇〇本のパッケージを‥‥』等と記載されているのであり、右記載は文字どおり乙たる被告会社が、本人たる〇〇〇〇の代理人たることを表示しているものと解せられるので、検察官の右主張は採用できない」旨説示しているので、次にこれらの当否について考察する。
被告会社のフィルムセールスが、外国会社の代理人として行なわれたか、あるいは、被告会社独自の行為として行なわれたかは、その行為の実態に即して判断しなければならないところ、被告会社のフィルムセールスの実態は、原判決も認定しているように「被告会社は、外国会社から送付された見本のフィルムに基づいて、まず、NHK等のキー局に対しフィルムの売込みを行ない、契約が成立すると、その旨を外国会社に報告して実物のフィルムの送付を受け、放送局の委任を受けてこれを通関入手したうえ、自社において、これに対する日本語版を製作し、右フィルムと日本語版とを一組(パッケージ)として放送局に引渡し、放映終了後は、右パッケージの返還を受けてこれを被告会社において保管していた」のであり、代金の支払方法としては「被告会社は、放送局との間に右契約が成立すると、まず、放送局との間で日本文契約書を作成し、この中に『一パッケージにつき何円を被告会社に支払う。うち何ドルを外国会社へ送金する』(NHKを除いた民放キー局の場合)とか、『版権料として何ドルを外国会社に支払う。外に何円を被告会社に支払う』(NHKの場合)等と通常記載していた。そして、放送局は、右日本文契約書に記載されたドルについてはこれを直接或は被告会社を介して外国会社に送付し、円については被告会社に支払っていた」ものであり、また、被告会社と外国会社との関係については「被告会社は、放送局との間に契約が成立すると、手紙または電信等でその旨を外国会社に報告していた。しかして、右報告の中で、売上金額については原則として前記日本文契約書記載のドル金額をそのまま報告していたが、フィルムによっては右契約書記載のドル金額より多額のドル金額を報告し、或は右契約書記載のドル金額に何ドル相当円を加算して支払う旨の報告をしたりなどしていた。そして右報告したドルおよび円については、外国会社別にドル勘定書或は円勘定書を作成し、これに右報告にかかる売上金額・既送金額・残高等を記載してこれを外国会社に送付し、ドルおよび円ごとに報告会社に対する債務関係を明確にしていた。しかしながら、被告会社が放送局から受領した円のうちドル相当円として外国会社に報告したのは一部のフィルムについて受領した円に関してのみであって、その余のフィルムについて受領した円についてはこれを全く報告していなかった」のである。以上は、主要放送局(以下キー局と称する)が、最初に放送したいわゆるファスト・ランに関するセールスの実態であるが、右原判決の認定した事実からしても、被告会社の本件セールスの実態は、単なる外国会社の代理人としての行為のみではなく、被告会社が自己の責任と計算にもとづいて行なう取引が併存していたことが明らかである。
そもそも、外国会社から持ち込まれるフィルムは、通常の劇場用外国映画の場合と同様、劇中の人物の会話が外国語でなされるため、一般大衆を対象とするテレビ放送には向かず、これだけでは十分な商品価値がなかったのであるが、被告会社が、劇中の人物があたかも日本語で会話をしているように見られる日本語の録音テープ(以下日本語版と称する)を作成し、これとフィルムとを一組としてテレビ放送局にセールスするようにしたので、これが好評を博し、同社とテレビ放送局との取引量が増加したものであるが(伊藤元の証言、第二記録一三四一丁)、この日本語版の製造の過程は、まず、外国から送られて来たフィルムの外国語の会話を被告会社の社員が聞いて日本語に翻訳し、これを台本として、被告会社の雇ったタレントが被告会社のスタジオにおいて、劇中の人物の口の動きに合わせてテープに吹き込んで録音するもので(百瀬喜一の証言、第二記録一四三丁、大堀貴美雄の証言、第二記録九九〇丁-一〇〇〇丁)、すべて被告会社の責任と計算において製作したものである。そして、当時、被告会社は、この日本語版は、被告会社のものであると考えていた(被告人の検事に対する供述、第三記録一〇二二丁、一〇六七丁、一〇九一丁、中野忠夫の証言、第二記録三八二丁-三八三丁)ので、外国会社に対して、日本語版についての売上に関する報告は一切行なっておらず(中野忠夫の証言、第二記録三六九丁)、その使用料は円貨で収受し、すべて被告会社の収入として処理しており、また、テレビ放送局も、この日本語版は、被告会社より買い受け、その使用料も被告会社に対して支払うものと考えていたもので、このことは、後記富家禎三の証言のほか、日本テレビ編成部長であった宇根元繁夫の「日本語版というものは、日本人が日本人の施設を使って日本人の声優を使ってやるわけですから、日本円の方に入るわけですね。日本語版の権利者は太平洋テレビジョンだと思っていました」旨の証言(第二記録五八一丁、五八二丁)に徴して明らかであり、それ故にこそ、NHKをはじめテレビ放送局は、この日本語版についてはすべて日本円をもって支払いをなし、外貨を払うという考えは全くなく、その手続もしていないのである。
かように、被告会社のフィルムセールス行為は、ファストランのセールスの場合であっても、その行為のすべてを代理行為とみることはできず、円収入の大きな部分を占める日本語版使用料の取引に関する部分については、被告会社の独自の行為と認めるのが相当であるが、いわゆるセカンド・ラン(再放映)に相当するリピートあるいはローカルセールスに関するフィルムセールスの場合も、原判決認定のとおり、「キー局に対して、再放映のため売込まれたリピートフィルムについては、そのごく一部を除いて円のみで契約され、また、キー局での放映終了後、ローカル局ないし広告代理業者に対して売込まれたフィルムについては、その全部が円のみで契約されていた。そして右リピートおよびローカルセールスの場合に受領した円については、被告会社は一切これを外国会社に報告しなかった」のであり、「沖繩の放送局に対して売り込まれたフィルムについては、フィルム使用料、日本語版使用料、扱手数料に区別してそれぞれ一本何ドルとして契約されていたが、被告会社は、外国会社に対し、右ドルのうちフィルム使用料のみを報告して他の日本語版使用料、扱手数料については一切報告せず、また、右売上を全然報告しない場合もあった」のであって、被告会社は、リピートあるいはローカルセールスについては、該フィルムはすでに外貨が決済ずみであるから、日本円のみで取引ができるのだと称して取引をしていたもので、このことは日比生正義の「外国会社に対してはですね、支払済であって、日本国内における権利というのは清水社長がもっているということじゃないでしようか」旨の証言(第二記録、四五八丁、四五九丁)、富家禎三の「政府割当外貨決済を完了し、輸入済のフィルム、そういった物件の契約でございますから、いわゆる外国貨物の契約と違いまして内国貨物の契約書ということで‥‥」旨の証言(第二記録、五〇四丁)および右収入の一部を公表勘定において売上金として経理処理をしている事実(第二記録、一七五丁)に照して首肯しうるところであり、また、被告会社がこのような行為をなし得たのは、すでに述べたように、キー局で放映し終ったフィルムは、日本語版とともに必ず被告会社に返還されて被告会社の支配管理下にあったため、被告会社は、外国会社の意思に関係なく、自己の独自の意思にもとづき、自由にこれを処分できる立場にあったことと、被告人清水自身が、ファスト・ランの契約の時点で外貨の支払済のフィルムの処分権は被告会社にあると考えていたことによるのであって、この間の事情は、被告人清水の「放映権の賃貸借については、必ず使用期間の制約がありますので、この期間内においては何処で使用しても良いということになっております。その意味では代金は決済ずみであるということができます」旨(昭和三七・五・一七付検事調書、第三記録、二〇七丁)および「アメリカでは、日本の放送局と契約を結ぶ場合、テリトリー・オブ・ジャパンということで結びます。即ち日本全土に放送できる権利を与えるということです。ところがその権利が行使できるのはNHKだけで、他の放送局は放送できない都市をいくつか持っています。そのような放送局は、テリトリー・オブ・ジャパンでなくて、もっと狭い地域で契約を結べば安い値段で輸入できるのですが、アメリカ側はそれを嫌がります。そこで日本の放送局は、NTVもNETも、フジTVもデリトリー・オブ・ジャパンで契約をするが、自分の局で放送できない都市については、販売権を太平洋テレビに与えるから日本語版の製作費を安くしろと要求してきました。それで太平洋テレビはその申出を容れて契約した分については、その都市における販売権を有するわけで、この収入は太平洋テレビの収入になる筈ですが‥‥」旨(昭和三九・七・三〇付検事調書、第三記録、一一四九丁、一一五〇丁)の各供述に如実に現われており、被告人清水の右の考え方は、「被告人が『日本はオーストラリヤの傘下にあって、未報告・無報告のものは仕切ったものであって、正当な太平洋テレビの収入である』と語った」旨の住田梅太郎の証言(第二記録七四八丁)によっても裏付けられるところであり、当時被告会社の社員も、取引先も、この被告人清水の考え方に少しも疑問を持たずに取引していたのであって、このことは、前記日比生正義の証言のほか、中野忠夫の「外国では、キー局に対応するローカル局が全国内にあるが、日本では、キー局でもネットが全国にわたっているものと、そうでないものとがあり、日本ローカル・セールスということは、外国人には解っていない事実であったと考えます」旨の供述(第三記録、三六〇丁、三六一丁)、宇根元繁夫の「日本に輸入する時に送金が終っているから、日本国内の放送権者は日本に来てから放送していない地域があった場合、そこへ円で売ろうが何をしようが自由である。私共の方で円で地方へ売ったことがある」旨の証言(第二記録、五八八丁)、黒崎昭男、本多晃司、平野昭、楢木豊、太田富士雄、安達隆義、井沢慶一、安東国武等の「被告会社から買ったフィルムは再放送のものでドル決済がすんだので、被告会社の権利に属し、従って外貨を要せず円で取引できるものと考えていた」旨の各証言(第二記録、一五七二丁、一六四二丁、一九四九丁、一九五〇丁、二三四四丁、二四〇六丁、三〇九八丁、三三四三丁、三三四四丁、二八八一丁)、木村章の「要するにオールジャパンという買い方を東京の局でやったやつに私たちのほうで‥‥買うということをやっておりました。要するにキー局がオールジャパンという形をとった場合はですね、大蔵省はそのキー局に対し外貨の割当をしているわけですよ、だからそこで決済は終っているわけです‥‥‥」旨の証言(第二記録、二四五六丁-二四六一丁)、井沢慶一の「私どもでは『名古屋版権』と申しておるわけなんです。つまり名古屋での放送がなかったので、名古屋に対する版権だけ残っておるわけなんですね、ですから『名古屋版権』あるいは名古屋版権を取ろうとか申しておりました」旨の証言(第二記録、三三四一丁、三三四二丁)などによって裏書きされているのである。
そこで、原判決が、被告会社のフィルムセールスは、すべて外国会社の代理人としての資格で行なわれたものである旨認めた根拠に挙げている前掲の「いわゆる代理店契約」の締結および「乙が総代理権を有する‥‥」旨の記載などについて検討するに、例えば、ファストランのセールスに関し、日本放送協会(N・H・K)とエヌ・ビー・シー・インターナショナル・リミテッド(N・B・C)との間にとりかわした英文契約書(昭和四三年押第三三号の符第二二号綴中の記録第一〇一-一-一七-一および記録第一〇一-一-二六-二参照)の各末尾には、右両当事者欄のほかに「PACIFIC TELEVISION CORP. as agent of NBC INTERNATIONAL LTD.(for purpose of identification only)」(訳文-エヌ・ビー・シー・インターナショナル・リミテッドの代理店たるパシフィック・テレビジョン会社-同一であることの確認のみの目的のため)旨書かれてあることに徴し、被告会社が外国会社であるN・B・Cと代理店契約を結んでいること、および本人たる外国会社N・B・Cの名をもってその営業取引に属する契約を代理して行なったものであることを知ることはできても、被告会社とN・B・Cとの間に締結された該代理店契約の内容や代理行為の範囲などについては、必ずしもさだかではなく、直接的な資料を欠く本件では、個々の契約を検討するほか、被告会社の取引の実態や会計処理の実情などに照してこれを見極める以外にはないのであり、また、前記の「乙が総代理権を有する‥‥」旨の日本文契約書中にみられる文言は、例えば、前記各英文契約書と関連して被告会社がN・H・Kとかわした各日本文契約書(昭和四三年押第三三号の符第二二号綴中の記録第一〇一-一-一七-二および記録第一〇一-一-二六-一参照)の中にもみられ、その当事者欄は、いずれも
甲 日本放送協会
経理局長 春日由三
乙 太平洋テレビジョン株式会社
取締役社長 清水昭
の記載のみで、本人たる外国会社N・B・Cの名はその当事者欄には見出すことができず、その内容および形式からみて、被告会社が自己の名において自ら権利義務の主体となってN・H・Kと独自の契約をとりかわしたことは認められても、「総代理権を有する‥‥‥」の文言があることのみをもって、日本文契約が外国会社を代理して締結されたとみるのは早計である。現に関係者は、「総代理権を有する‥‥」の文言も、せいぜい「総代理店」の表示と同意義に理解していたというのであり(大嶋健一の証言、第二記録三三二丁、太田孝の証言、同記録二三七四丁、井沢慶一の証言、同記録三三三六丁)、かりに右文言が原判示の如く「本人たる外国会社の代理人たることを表示」しているものと解することができるとしてもその「代理人たる表示」が契約文言の中にあることから、ただちに、外国会社の代理人としての資格で被告会社が契約を締結したものと認めることには飛躍がある。おもうに、代理を行なう代理商(商法第四六条参照)が、本人に代理して取引したとなすためには、あくまでも本人の名においてこれをなすべきものであって、前記日本文契約書の内容および形式に照すに、代理商たる被告会社が、本人たる外国会社を代理して、その外国会社本人の名において放送局と当該契約を締結したものとは到底認めることができないのである。
ちなみに、前記引用の英文契約書(但し訳文のみにとどめる)と日本契約書とを、対比検討に便ならしめるため、その各一部を別紙(一)および(二)に掲げたが、別紙(二)の日本文契約書には、別紙(一)の英文契約書では見ることのできない特約条項、例えば、「甲(N・H・K)は、乙(被告会社)に一本当り一金四万五千円也、総計一金参百六十万円也をプリント納入後、その本数に応じた金額により支払う」とか、「本契約の内容に関しては、甲乙双方とも第三者に洩らさない事」といった特別のとりきめが行なわれていることを知るのであり、また、別紙(三)として掲げた昭和四三年押第三三号の符第二二号綴中の被告会社と株式会社フジテレビジョンとの間にかわされた日本文契約書をみると、外国会社に対する金員支払いの件は一切入っておらず、もっぱら被告会社に対する支払いなどの事柄がとりきめられ、その第一条には「乙(被告会社)が制作した日本版」と特に明記されているのが注目され、原判決挙示の押収にかかる各日本文契約書を検討すると、例えば「甲(N・H・K)の監修の許に乙(被告会社)が制作するマグネティック・テープに録音された同映画の日本語版の‥‥‥」旨のことわり書きがしてあるのも見当る。
ともあれ、被告会社がなした取引が、本人を代理してなしたかどうかの見極めには、契約書の記載形式などのほか会計上の事務処理状況等諸々の要素を総合する必要があり、契約当事者の取引意思もまた不可欠な要素というべく、ファスト・ランにおけるフィルムそのものは被告会社を外国会社の代理人として外国会社から買いうけるものと認識し、右フィルムの取引につき厳格な英文契約書を締結していたN・H・Kにおいても、日本文の契約書は、手数料、通関料、運賃、日本語版使用料などに関してN・H・Kと被告会社との間に締結された附随契約であると考えていたものであり(富家禎三の証言、第二記録四八六丁-四九一丁)、ローカル局においては、外国会社と取引をするということは全く念頭になく、契約の相手方は被告会社そのものと理解していたことが明らかである(太田孝の証言、第二記録二三七四丁、本多晃司の証言、同記録一六四一丁-四二丁、和田孝哉の証言、同記録二三九四丁、太田富士雄の証言、同記録二三一三丁、七田好雄の証言、同記録二九二二丁、細田彰の証言、同記録三二八三丁、井沢慶一の証言、同記録三三三六丁、筒井信一の証言、同記録三〇四五丁)。
以上考察したところに照し明白な如く、被告会社のフィルムセールス行為は、ファストランのセールスの場合であっても、そのすべてを外国会社の代理行為とみることはできず、円収入の大きな部分を占める日本語版使用料の取引に関する部分については、被告会社の独自の行為と認めるのが相当であり、また、再放送(セカンド・ラン)のフィルムセールスの場合には、被告会社は、対外的にも対内的にも、被告会社独自の行為として取引しており、これを外国会社の代理人としてなしたものとは到底認められないのであって、原判決が、被告会社の放送局等に対するフィルムセールスは、ファストランの場合たるトリピートないしローカルセールスの場合たるとを問わず、すべて外国会社の代理人としての資格で行なわれたものと認めるのが相当であると認定したことは、明らかな事実誤認といわなければならない。
二、未報告円収入に対する外国会社の認識について
原判決は、被告会社の未報告円収入に対する外国会社の認識について、「外国会社においては、被告会社が取得した円について、これをすべては握していたかどうかは別として、それが被告会社のフィルムの売込によって生じたものである限り、報告ずみのものであれ、未報告のものであれ、すべて外国会社に帰属するものと考えていたものといわざるを得ない」と認定し、その認定の裏付けとして、「外国会社の一つであるNBCは、被告会社のローカルセールス等の行為によって円収入が生ずるであろうことを予想し右円収入を管理するため、昭和三三年四月にテレビジョン技術株式会社(TGKK)を設立し、被告会社の右円収入をTGKKに入金させてこれを管理していた程であり、同じく外国会社の一つであるNTAあるいはフリーマントル等においては、その社員が来日した際に、被告会社から右円を受領していた事実が認められる」旨判示しているのであるが、右認定は、当時、我が国が極めて厳格な外国為替の管理下にあって、政府の許可なくして本件の如き取引あるいは代金の授受ができない情況にあったという事実を全く無視した結果によるもので、事実誤認もはなはだしい。
すなわち、原判決も認めているように、フィルムの輸入は、これを法律的にみると、フィルムに化体された著作権の使用権(放映権)を外貨を支払って取得することであって、いわゆる貿易外取引(役務に関する契約)にあたるが、本件当時国内において右取引の当事者(輸入者)となりうるものは、法律上放送局のみに限られており、放送局が、輸入の申請をして外貨の割当をうけなければ、外国会社に対し、外貨の支払いをなすことは不可能であったのであり、まして、右許可なくして円貨をもって外国会社に支払いをなすことは、法律上は勿論、事実上もほとんど不可能な状態にあったのである。したがって、フィルムを我が国に持ち込む外国会社は、原則として、政府割当の外貨の範囲でしか支払いをうけることができないということを十分承知していて、その範囲内(通常は割当最高額で)で取引価格を決定しており、我が国の外為法規に違反してまで政府割当額を超える外貨あるいは円貨の支払いを要求するという考えはそもそも持っていなかったのである。しかし、一たびフィルムが我が国に持ち込まれた後は、その支配管理が事実上全面的に被告会社の手に移るため、被告会社が、これをさいわいに、放映ずみのフィルムを再放映等の名目で再度テレビ放送局に売り込み、その対価が円貨で被告会社にもたらされることもある程度予測されるところであったので、外国会社としては、この円貨を我が国の外為法規に違反しない範囲内において多少でも被告会社から吸収しようということを考え、その手段としてNBCの場合は、前記TGKKを設立したというのであるが、もとより、右のような円収入の徴収を公然の目的とした株式会社の設立は不可能であったところから、形式上はテレビ技術の指導を目的とするということにして設立し(宇佐美六郎の証言、第二記録二〇二一丁)、同会社が被告会社から受け取る金員も、名目上はテレビ技術の指導料ということにしていたのである。(百瀬喜七の証言、第二記録一六九丁、一八〇丁、第三記録三〇三丁)したがって、TGKKに対する被告会社の円貨の支払いは、同会社の一方的な善意の支払いにまつほかはなく、TGKKが被告会社からこれを強制的に徴収できる法律上の手段はなかったのである(宇佐美元の証言、第二記録九一四丁-九二三丁)。この間の事情は、住田梅太郎の「当時、海外のプロデューサーは、彼らの考えからゆけば、不当に安い値段で日本のテレビ局にフィルムを提供し、大蔵省の許可する外貨送金しか受け入れられない実情にあった。テレビ局は、国内で代理店に対し、相当いい値段を払った状況にある。清水がこういう状況だから、これを自分で一人じめにするのは潔よくないから、自分もその恩恵によくするが、NBC側にも提供したいと、これはTGKKができてその顧問料に対し、通常の計算によれば不当に高いと思われる対価が払われた。太平洋テレビとしては自分のものだと主張すればできるものを自発的に清水社長がプロデューサー側にもうるおしてやろうという申出があった」旨の証言(第二記録七一五丁、七一六丁)、エリック・J・V・ハットの「NBCとしては、そういったような請求権は持たないということが伝えられていましたので、そういうふうに持っているとは思っていなかったと思います。しかしNBCの立場としましては、そういったような請求権に対してなんらかの影響力を持とうというのがねらいであったわけです」旨の証言(第二記録二二四六丁)、および、エリビン・ファラガーの「NBCでは、円収入を要求する権利のないことは承知していますので、私の方から小切手を要求したのではなく、清水が進んで小切手を持って来たのであります」旨の供述(第三記録五四一丁)などによってきわめて自然に物語られている。
原判決は、右エリビン・ファラガーの供述は措信できないとして排斥しているが、前述のような当時の法律的・経済的関係のもとにおいて、これを判断すれば、同人の供述こそ真実を語っており、これに反する被告人およびジョセフ・クラインの供述は措信できないものである。とくに、右ファラガーが、昭和三七年四月六日に、被告人に対して未報告分であるとして提示した四二、〇二九、〇〇〇円の内訳をみるとローカルセールス分として示した金額は「a smaller station(net)estimated 3,000,000」となっていて(押三三号の八七号)、あくまで目の子算的金額であり、同人がローカルセールス分の円収入を権利として請求しているとは到底認められないのである。他方、NBC以外の外国会社の場合は、その会社の社員等が来日した時にその滞在費を被告会社が負担した程度で、その金額も小額であり、それ以外に請求された事実もないのである。
以上の事実関係からすれば、外国会社が、被告会社の右円収入の一部を多少でも取り上げて自己の営業のプロモーションのため使いたいと考えていたこと(宇佐美六郎の証言、第二記録二〇二七丁)は事実としても、その事実をもって、外国会社が本件未報告円についてもすべて外国会社に帰属するものと考えていたことの論拠とはなり得ず、原判決の前記認定は不当といわなければならない。
三、日本語版テープの使用料について
原判決は、日本語版の使用料について、被告会社が、これを事実上利得している事実を認めながら、「外国会社は、被告会社と代理店契約を結んだ当初から、日本語版の使用収益権は、ファストランの場合における使用料(製作費に相当する分)を除き、他のすべての場合に外国会社に帰属するものと主張していたこと、これに対し、被告会社も一応これを認めたうえ、その権利を被告会社に譲り受けたいと考え、しばしば外国会社と交渉してきたが、これについては未だ解決をみないままであることが認められるのでリピートないしローカルセールスの場合における日本語版使用料に相当する円はいずれも外国会社に帰属するものと認めるべきである」旨判示しているが、右認定には重大な事実の誤認があり、到底承服しがたい。
すなわち、原判決は、「日本語版は外国語版の翻訳物にすぎないから、これによって発生する収益はすべて外国会社に帰属する」旨の被告人の単純な主張を全面的に採用した結果、右の誤認をおかすに至ったものであるが、日本語版が外国語版の翻訳物であるからこれによって生ずる収益が直ちに外国会社に帰属するという主張は全くのこじつけである。
すでに述べたとおり、そもそも、外国会社は、本件フィルムを我が国に持ち込むにあたって、その受取るべき対価としては、原則として政府割当の外貨以外は考えていなかったものであり、また、被告会社もこれを超えて支払う意思はなかったのである。だからこそ、被告会社は、大蔵大臣に対し、取引の許可と外貨の割当の申請を代行するにあたって、日本語版の版権取得に関する取引の許可および外貨割当の申請を行なっておらず、外国会社との間にこの版権料をいくらにするかという取り決めも一切行なっていないのである(被告人の「私は日本国内で作られた日本語版の使用収益権は製作者たる日本人が持っていると考えております‥‥‥何分どの程度その権利を主張するとか、出来るとかいうことは力関係と申しますか政治力によって解決すべき問題であり、NBC、NTAの間でその点が解決されていないのであります」旨の供述、第三記録一〇五四丁)。
もともと、当時、輸入されていたテレビフィルムは、数年前に米国で製作、上映されてすでに償却済みのものであったから、外国会社としては、我が国の大蔵大臣が許可割当てた外貨を回収すれば足り、またそれ以上の金員は外為法の規制上非居住者たる外国会社は入手できない事情にあったので、外国会社が、政府割当て外貨の枠を超えて被告会社から日本語版使用料を取り上げようとしても、法律的にこれを請求する手段はなく、被告会社の善意の支払いにまつほかはなかったのが実情で、そのため外国会社が日本語版使用料を請求した事実は現在までないのである。
されば、右のような事情下にあったことから、被告会社は、タレントを使用し、被告会社の責任と計算において製作した日本語版の使用料は、割当外貨以外の円収入であり、すべて自己に帰属するものとして自由に処分していたのであって、右使用料が外国会社に帰属するいわれはない。
四、未報告円の法律的帰属について
原判決は、「被告会社の放送局に対するフィルムの売込は、ファストラン、リピート、ローカルセールスのいずれの場合においても、すべて外国会社の代理人として行なわれ、したがって、放送局から支払われた代金は、一部諸経費およびファストランの場合の日本語版使用料(製作費)に相当する分を除き、円、ドルを問わずすべて法律的には本人たる外国会社に帰属するものというべきである。よって、前記未報告円についても、法律上は被告会社に帰属せず、すべて外国会社に帰属するものと認めるべきである」旨認定したが、しかし。すでに前記一ないし三で述べたとおり、被告会社のフィルムセールスは、ファストランの場合のフィルムそのものに関する分はともかくとして、その余は、すべて被告会社自身の責任と計算において行なわれたもので、これによって得られた円収入は被告会社に帰属するものというべく、被告会社のフィルムセールはすべて外国会社の代理人として行なったことを前提とした右原判決の認定は承服しがたい。
被告会社の会計処理の実態は、放送局から円貨で支払いをうけたものは、日本語版使用料を含めてすべて被告会社の収入として取り扱い、外国会社に対する預り金であることを示す経理その他の処理は内部的にも外部的にも一切行なっていないのであるから、この一事実に徴してみても、右円収入は、単に被告会社がこれを経済的・事実的に支配していたというにとどまらず、法律上も被告会社の所有に帰属するとみるのが相当である。仮に、百歩をゆずり、被告会社の日本語版の製作、使用やセカンドランに相当するフィルムセールが著作権などの権利侵害にあたるとみた場合でも、将来、外国会社から右行為により権利侵害をうけたとして損害賠償等の請求をうける危険性はあるかも知れないが、そのことと右円収入が被告会社に帰属するということは自から別のことであり、また、右の如く将来損害賠償等の請求がありうるとしても、本件事業年度においてはいまだ具体的請求は一切なく、金額・支払方法・支払時期等すべてに亘って不確定のものであるから、いずれの点よりするも法人税法上の損金として認容すべき性質のものではない。
さすれば、右円収入は、法人税法上被告会社の所得を構成し課税の対象となるべきこと論をまたないのであるから、右円収入を外国会社のものと認定し、課税所得たることを否定した原判決は、重大な事実の誤認をおかしていることが明白であり、破棄をまぬがれない。
第二 法令の解釈適用の誤について
原判決は、「所得は経済的概念であって、一般的にある利得が所得を構成する収入となるかどうかは、その利得が法律上利得者に帰属しているかどうかという法律的観点からではなく、むしろ、利得者がその利得の経済的効果を事実上享受しているかどうかという経済的観点から定められるべきものである」としながら「法律上利得が認められないにもかかわらず、経済的には現に利得していると認められるすべての場合に、これが所得を構成するものとみるのは相当でなく、このような場合にこれが所得を構成するためには、その利得の享受が社会一般人ないし法律上の権利者から通常是認されうるようなものであることが必要であると解すべきである。これを各同種の利得についてみると、強・窃盗、横領などによる利得の場合には、これらは社会的にも当然返還されるべきものと認識されるであろうし、法律上の権利者である被害者も、その利得の原因が明らかとなれば当然返還を要求するであろうから、これらは所得を構成する収入とはいえず、一方、と博による利得や利息制限法超過の既収利息の場合は、たとえその利得の原因が明らかとなっても、権利者においてその返還を請求しないのが通常であろうし、社会的にも利得者がそれを返還せざるを得ない程の非難をうけるものでもないから、これらは所得を構成する収入となりうるものと解されるのである」とし、「これを本件についてみると、右未報告円については、これが法律上外国会社に帰属することが明らかとなれば、社会的にも当然返還さるべきものと認識されるであろうし、また外国会社が未報告円の存在を知れば、当然被告会社に対してその権利を主張するであろうから、結局、右未報告円は本件事業年度における被告会社の所得を構成する収入とはなり得ないものというべきである」と結論し、本件未報告円の所得たることを否定したのであるが、しかし、右は、法人税法上の所得の解釈につき、極めて重大な誤りを犯しているといわなければならない。
そもそも、法人税法上の所得を、「法律的観点からでなく、むしろ利得者がその利得の経済的効果を事実上享受しているかどうかという経済的観点から」とらえようとする考え方は、租税負担公平の原則をもって租税正義とする近代租税法の理念からきているものであり(田中二郎「租税法」一一〇頁以下参照)、租税上、ある収入を当該事業年度の益金と認めるかどうかは各納税義務者の租税負担の公平に極めて重大な影響をおよぼすのであって、もし利得者が一定の事業年度において経済的効果を現実に享受していながら、これがいまだ法律的に帰属していないということで、租税負担を免れることができるとなれば、他の租税負担者に対し、経済的に著しく有利な立場に立つことになって、経済的正義に反すること甚しく、担税能力に応じて等しく租税を負担させようとする租税法の目的ないし理念に反することになるので、法は利得の経済的効果の帰属そのものに着目して所得の概念をとらえようとしているのである。
原判決は、利得者が、その利得の経済的効果を事実上享受している場合でも、それだけではたりず、「その利得の享受が社会一般人ないし法律上の権利者から通常是認されうるようなものであることが必要であると解すべきである」とし、強・窃盗、横領等により利得した場合と、と博や制限超過利息の場合とを区別して、前者は所得たり得ないとしている。しかしながら、利得の原因を強・窃盗、横領と、その他の場合とに区別しようとする点で、すでに、原判決は、所得を経済的観点からとらえようとする考え方に反するものである。
すなわち、担税能力に応じて公平な課税をするという観雑から所得をとらえようとする場合、現に利得者が、その利得の経済的効果を事実上利得しているかどうかということに着目すればそれでよいのであって、それ以上に利得原因の法律的性質にまでさかのぼって考察する必要はなんらないのである。とくに、強・窃盗、横領等の概念は刑法上の概念であって、課税の時点において常にこれが確定しているとは限らないのであるから、もし、原判決の考え方にたつと、これが確定するまでは課税できないという結果になるが、課税物件ないし課税対象がこのような不安定のままで存続することは法人税法の予想するところではないのである。さらに、金銭その他不特定物についての強・窃盗、横領の場合を考えてみると、このような場合、その賍物たる金銭等が利得者が従前から所有していた金銭等と混然一体となって特定性を失えば、被害者は不法行為を理由として損害賠償の請求はなし得ても、被害金員そのものの所有権を理由として返還請求をすることはできない場合が多いのであるから、被害者から実体的に損害賠償の請求がでて、その債務が確定するまでは、これを損金として認容する必要はなく、事実上右利得を得た時点において、これを所得と認めて課税してこそ課税の公平がつらぬけるのである。その後の年度においてその債務が確定した場合は、その年度の損金とすればたりるのが税法のたてまえである。
いま、これを本件未報告円についてみれば、被告会社が、経済的・事実的にこれを利得していることは原判決も認めているところであり、外国会社からは、その返還請求もなされておらず、被告会社が事実上その利得を享受していることは明らかであるから、その利得の原因を詮索するまでもなく、これを所得と認めて課税することが、まさに租税負担公平の原則を基盤とする租税正義の理念に合致するのである。百歩譲って、原判決の如く、強・窃盗、横領の場合は、「被害者が当然返還を請求するであろうから」という理由で所得を構成しないとしても、本件未報告円が、強・窃盗、横領の場合と同様であるという結論には賛成できない。
すでに述べたように、被告会社の本件未報告円は、窃取したものでもなければ、横領したものでもなく被告会社の営業活動にもとづいて収取したもので本来被告会社に帰属すべきものであり、現に、被告会社は、開業以来、一部脱洩分を除いて、ファストランについてはドル送金分を除く円収入を、リピート、ローカルセールスについてはその売上額全額をフィルム売上げとして公表決算に計上しており、このような経済的利益の享受および会計処理の状態がすでに十年間も続いているのであって、租税負担、公平の原則という租税正義に照らしても、右利益の享受は、当然法人税法の所得として課税の対象となるべきものである。
よって、原判決は、事実の誤認および法令の解釈適用に誤があり、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、当然破棄されるべきである。
別紙(一)
(英文契約書-但し訳文のみ)-昭和四三年押第三三号の符第二二号の綴中の記録第一〇一-一-一七-一
契約書
東京都千代田区内幸町二丁目二番地日本放送協会(以下Aという)とパナマ共和国、パナマ市アバルタード四五六一、エヌ・ビー・シー・インターナショナル・リミテッド(以下Bという)とは、下記条項により契約を締結する。
第一条 Bは、Aに対し、Bが総てのテレビ放映権を有している“コンチネンタル・クラスルーム・モダンケミストリイ”と題する一六ミリ教育映画のプリント八〇本(一六〇シリーズの前半)を、Aが日本国の領域内においてテレビ放映するため封切りする権利を附与する。
第二条 Aは、該プリントを、一九六一年(昭和三六年)七月以降、一プリントを週に一回テレビ放映する権利を取得する。
第三条 本契約に従って、AはBに対し、物語の放映権のような源泉所得税を除き、二四、〇〇〇米ドル(一話につき三〇〇ドル)に及ぶ該映画の原価を支払うものとする。支払いはプリントの受理本数に応じて配給後直ちになされるものとする。
第四条 Aは、通貨、保険料、関税、物品税、通関手数料等を含む該フィルムの輸入に関する費用を支払うことに同意する。
第五条 各プリントの放映直後、Aは同プリントを、Aに配給された際と同一の形状でBのフィルム図書館に返還するものとする。
第六条 Aは、Bの同意なくして、本件プリントを本契約以外の方法で使用したり、又は該使用権を他人に譲渡したりはしないものとする。Aは、予めBに通知をなし、かつ、Bの同意を得たのち、該プリントの放映に必要な全措置をとるものとする。本件に関する一切の責任は、Aにおいて負うものとする。
第七条 労働争議、天災、輸送方法による場合或はそのほか、A又はBいずれもの妥当な管理外の原因により、該プリントの配給又は返還が遅滞した場合には、ABいずれもその責任を負わない。
第八条 Aは、その責に帰すべき該プリントの紛失や損傷につき、責任を負うものとする。
第九条 AB双方は、本契約書に定められていない問題を解決するため会談することに同意すべきこと。
第一〇条 本契約及びその後の改訂事項は、各政府の定める手続に従って関係政府当局により承認が与えられるまでは、その効力を発しない。
右証拠として、本件各当事者は、正当に権限づけられた代表者らによりこれを証する。
一九六一年
日本放送協会
(署名欄)
エヌ・ビー・シー・インターナショナル・リミテッド
(署名欄)
エヌ・ビー・シー・インターナショナル・リミテッド
(同一であることの確認のみの目的のため)の代理店
たるバシフィック・テレビジョン会社
(署名欄)
別紙(二)
(日本文契約書)-昭和四三年押第三三号の符第二二号の綴中の記録第一〇一-一-一七-二
契約書
東京都千代田区内幸町二丁目二番地日本放送協会(以下甲という)と東京都中央区築地四丁目四番地築地会館内太平洋テレビジョン株式会社(以下乙という)とは、次の条項によって契約を締結する。
記
第一条 (放送権の承認)
乙は、甲に、NBCインターナショナル・リミテッドが、海外使用に関して一切の権利を有し、乙が日本国内の総代理権を有する一六ミリ、三〇分教育映画題名コンチネンタル・クラスルーム・モダンケミストリイ(一六〇本シリーズの中、前記分六〇本)を甲のテレビジョンにより日本国内において放送を行う権利を与える。
第二条 (放送の条件)
1 毎週連続一回以上放送する。
2 放送開始予定は昭和三六年七月中とする。
3 放送回数は各一回とする。
4 甲は乙の承諾なくしてフィルムを改変してはならない。
第三条 (契約金)
1 甲は版権料に相当する政府割当外貨、税抜き一本当り参百米ドル総計二万四千米ドルをプリント納入後、その本数に応じた金額に依りNBC・インターナショナル・リミテッドあての記名外国為替小切手をもって乙を通じて支払うものとする。
2 版権料に課せられる所得税は甲の負担とし、徴収並びに納付事務は甲が行う。
3 甲は乙に一本当り一金四万五千円也、総計一金参百六十万円也をプリント納入後、その本数に応じた金額により支払う。
4 この映画の輸入並びに返還に要する費用(運賃、関税、保険料、物品税、通関手数料)は乙が支払うものとする。
第四条 (納入及び返還)
1 乙は一六ミリ・ポジプリント及びその英文スクリプトを放送日の最低二週間前迄に甲の事務所に納入する。
2 甲はこのフィルムを放送終了後、すみやかに乙の事務所に返還する。
3 労働争議、天災、運送業者の責に帰すべき原因、その他甲又は乙の正当な管理の及ばぬ原因で引渡しまたは返還が遅れた場合には、甲乙いずれもその責任を負わない。
4 このフィルムの引渡し返還に際しては、甲乙両者立会いの上点検し、使用に耐えざる瑕疵のないことを確認して受渡しするものとする。
第五条 (その他)
1 本契約の内容に関しては、甲乙双方とも第三者に洩らさない事。
2 本契約に規定されない事項に関しては、その都度協議の上決める。
3 本契約及びその後の変更は、日本国の法律によって必要とされる手続きに従い、管轄官庁の承認を得て効力を生ずるものとする。
昭和三十六年五月二十六日
甲 日本放送協会
経理局長 春日由三 <印>
乙 太平洋テレビジョン株式会社
取締役社長 清水昭 <印>
別紙(三)
(昭和四三年押第三三号の符第二二号の綴中にある株式会社フジテレビジョンと被告会社との間にかわされた契約書の内容)
記
第一条 (放送の承認)
乙(被告会社)は、甲(株式会社フジテレビジョン)に、ナショナル・テレフィルム・アソシェイツ・インコーポレイテッドが、海外使用に関して一切の権利を有し、乙が日本国内の総代理権を有する左記十六ミリ長篇映画十一本および乙が制作した日本版のパッケージを甲をキー局として東京地区、大阪地区、名古屋地区および九州地区の各々のサービス・エリアに於てフィルム・ネットあるいはマイクロ・ネットにて放送することを認める。
1 「聖メリーの鐘」
2 「電撃作戦」
(中略)
第二条 (放送の条件)
1 本パッケージの使用期間は、契約後一カ年間とし、使用回数は一本一局七回限りとする。
2 甲は乙の承諾なくしてフィルムを改変し、若しくはコマーシャルを映画の指定した箇所以外に入れて放送してはならない。
第三条 (放送料金)
1 甲はこの契約のパッケージのプリント及び日本版使用料として、総額一金五百万円也を乙に支払う。
2 甲は契約と同時に期間九十日の約束手形一枚にて一金二百五十万円也及び期間百八十日の約束手形一枚にて一金二百五十万円也、計約束手形二枚にて総計一金五百万円也を乙に支払うものとする。
第四条 (納入及び返還)
1 乙は本パッケージを放送の最低一週間以前に甲に納入する。
2 甲は放送終了後速やかに乙の事務所に返還するものとする。
第五条 (損失補償)
このパッケージの甲による損失、破損については、甲は乙に賠償することに同意する。
第六条 (その他)
1 本契約内容に関しては、甲乙双方とも第三者に洩らす事は許されない。
2 本契約に規定されない事項に関しては、その都度協議の上決める。
昭和三十六年一月三十一日
甲 株式会社フジテレビジョン
編成局長 福田英雄
乙 太平洋テレビジョン株式会社
取締役社長 清水昭